日常にひそんでいるゲーム
実践国語科「ほんとうかもしれない」において子どもは、ヨシタケシンスケ著『そういうゲーム』(KADOKAWA)に出あいました。
子どもに好きなページを聞くと、1ページ目の「おうだんほどうの白いところだけふんで むこうがわまでいけたら かち。おちたらワニがいる。そういうゲーム。」が面白いと話しました。子どもは「小さい時にやったことがある」「日常の中で条件を使っているところが面白い」と話しました。また、「こっちのレジの方が早かったら かち。そういうゲーム。」というページについては、「お母さんがよくやっている」「並んでいる人のかごの中身を見たり、レジの人の人数を見たりして早いところ探す」と面白さを話しました。
一方で、面白いページに挙げられなかったものがあります。「でこぼこした世界を いろんなものにジャマされながら おいしいコロッケを求めて右往左往する。そういうゲーム。」です。子どもは、「コロッケは、言葉を変えればいいんだよ。幸せとかに」と話しました。子どもは、その人にとっての幸せを「コロッケ」の部分に入れて読むことができると考えました。そして、「かわいいぬいぐるみや、おもちゃが入りそう」「先生ならラーメンだね」などと話しました。
子どもは絵本を描くために、日常にひそんでいるゲームを探し始めました。「かもメモ、持ち帰っていいですか?」と話し、学校の帰り道でも探しました。家でも考えた子どもは、家族と話しながら100個も考えました。
絵本をつくりながら子どもは「ヨシタケシンスケさんらしさは日常だ。この本は、ザ・日常だ」「自分の生活の中でゲームをするようになった」「『かち』と言う言葉を入れないページはつくれないかな」などと話しました。
子どもは次のような絵本をつくりました。
子どもはかもメモに、次のように書いていました。
「『ほんとうかもしれない』が終わります。私はすごく悲しいです。りゆうは、もともと絵本をかいたりする(ものがたり)ことがすきだったし、ヨシタケシンスケさんの絵本がすっごーく大すきだったからです。まずヨシタケシンスケさんの絵本をすきになったのが3才のころ、びょういんでまってるときによくママとよんでいたからです。それが4年生のほんとうかもしれないで、すこし役に立ったし、ほんとうかもしれないができてうれしかったです。ほんとうかもしれないはすごく楽しかったし、ヨシタケシンスケさんのことを考えるというのは、ちょっとむずかしかったけど、ヨシタケさんががんばって考えていないことがはんめいしたときは、ビックリしました。なんと日常だけかいていたからです。まぁそれはおいておいて・・・ほんとうかもしれないではいろいろと楽しかったです。」
「『ほんとうかもしれない』が終わります。私は絵を書くのが苦手、あんまり好きではありませんでした。だけど、仲間といっしょにやったり、絵がらをいろいろためしたりして、なんとかなってきました。絵本は、『絵の本』だけど、文も大事だと思った事がありました。たとえば、絵がらがさだまらない時、文でなんとかしたりもしていました。文は一番お世話になったのでは。よく分からないけど。とにかく、絵が好きじゃなくても、文や仲間との協力など、なんかあれば、なんとかなる事が分かったのが、一番のしゅうかくだったと思います。」