金谷山の桜が千本になるまで
前回のお出かけで金谷のための活動に取り組んだ子どもは、「前に相沢さんと桜の木に肥料をあげたのも、金谷のためになっているんじゃない?」と話しました。そこで、相沢さんとの活動を思い出しながら金谷の桜について見つめていきました。
相沢さんが代表を務める「金谷山さくら千本の会」は、活動を初めて23年が経ちます。その間、500本以上の桜を金谷山に植樹してきました。子どもは、「千本までまだまだがんばらないといけない」と話しました。
相沢さんのお話では、これまでにたくさんの苦労があったということです。大雪で桜の木や枝が折れてしまったこと、イノシシにヤマユリの根を掘り散らされたこと、植栽した雪割草が盗掘されたことがあったということでした。さらに、会員が高齢になり相沢さんと共に活動する人が減っていること、今後、活動を継いでくれる人がいないことを知りました。
子どもは、このあとの金谷の桜について、「一本一本消えていってしまう」「管理されなくなるから桜が枯れてしまう」「金谷山が荒れていく」と話しました。また、「誰か引き継いでくれる人はいないかな」「桜がなくなってほしくない」「今できることをしたい」と話しました。
子どもは、これから自分が金谷でしたいことを考えながら作文シートを書きました。
「金谷の桜は、このあと、たくさんの人に広めたら、うけついでくれる人は、一人でもいるんではないかと思いました。今は、金谷の桜があぶないことをたくさんの人は知らないから、うけついでくれる人がいないんだと思います。(中略)このあと私が金谷でしたいことは、金谷の自然を多くのみんなに伝えたいです。それに、春にもお花見もしたいから私たち4年2組までの時間で金谷を大切に思いながら金谷を守りたいと思いました。それにあと15年か10年後、私たちは25才、20才になって4年生のときに相ざわさんがうえた桜の木を見てみたいです。あともう一度金谷のためではなくて、次は、金谷の桜のために何かをしてあげたいです。でもさすがにそんなに長持ちは、桜は、しないと思います。もしも相ざわさんが活動できなくなってしまったら、あとは、ボランティアや、桜の人生にまかせるしかないと思います。でもできるだけ、私たちもいつか大人になっても桜の一つの花びらでも守れたら、とってもいいと思いました。」
「これからの金谷の桜について、私は金谷のさくらのみりょくを知る人が多く来てやってくれると思います。新聞を見た人がくるかもしれません。相ざわさんも、他の人が『金谷のさくら』を知れば受けついでくれるはずです。私も相ざわさんの気持ちはわかります。20人から5人にへったのは、悲しいと思います。でも前からやってきたことは、やってもらいたいと思います。あと、今は10本から500本になって『金谷さくら千本の会』の千本の目標もたっせいするからです。このあと、私が金谷でしたいことは、さくらにかんけいのあることです。それは、かん光地にするための道やさくらの種類の名前のかんばんを書いて『金谷山さくら千本の会』を知ってもらったり、新しくできる金谷地区公みん館で『千本の会』があるしょうかいをしたり、公みん館の人にお願いして『金谷山さくら千本の会』のコーナーがあることを教えるところをつくったりしてもらえばいいと思います。なので『金谷山さくら千本の会』を続けてほしいです。」