ダメなウソ 楽しいウソ 悲しいウソ
「ほんとうかもしれない」の活動で、子どもは、ヨシタケシンスケの『なんだろうなんだろう』(光村図書)と出あいました。その中の1場面である「なんだろうなんだろう『うそ』ってなんだろう」のページを読んでいきました。
子どもは「『ついてもいいうそ』と『ダメなうそ』があるのかな?」を読み、「考えたことがなかった」と言いました。子どもに、「うそをついたことがあるか」と問うと、「ついたことがある」と話しました。どんな内容か聞いてみると「それは言えない」と言いました。
一方で、「私は教えてあげる」と言う子どもがました。「ピアノの練習をしなきゃいけないのに、お母さんに聞かれて『した』と答えたことがある」と話したり、「こたつの中で隠れてゲームをしていた時に、お母さんが来て『ゲームしているんでしょ』と言われたけど、『してないよ』と言った」と話したりしました。また、「おばあちゃんがつくった料理で、ちょっと好きじゃないものでも、『おいしい』と言ったことがある」と話したりしました。
そこで、班かもで「うそってなんだろう」について話していきました。子どもは、「いいウソ」と「ダメなうそ」を考えようと、ホワイトボードの真ん中に線を引きました。カードゲームは、うそをつき合うことが面白さであると考え「いいウソ」に書きました。そうしながら「へんなウソ」があることを思いつき、「宿題をやったのに『やってないよ』と言う」と書きました。
班かもで話したことを基に、次のような「『うそ』ってなんだろう」をつくりました。
子どもは、「かもメモ」に次のように書きました。
「私は、うそというものをよく考えたことはありませんでした。もちろんうそはついたことはあります。うそにはしゅるいがあって、『いいうそ』、『わるいうそ』、『さぎ』、『だまし』、『かわいいうそ』などなど。よく考えてみると、一つの言葉でも、しゅるいはたくさんあることに気づきました。」
「私は、こう思いました。ウソは一つのウソではなく、いろんなウソがある気がします。いいウソ、ダメなウソ、楽しいウソ、悲しいウソなどと、心と同じで、いろんな発言のしかたがあります。それに、だれもが一回はしていると思います。自分を守るウソもあるし、はんざいのウソなどいろいろあります。班かもをして、いっぱいでたのは、やっぱりはんざいがとっても多いと思いました。」
「私は、『うそ』ってなんだろうってあんまり考えたこともないけど、そのヨシタケさんの本の中に、私も一度あることがあって、それは、まだばれていないけど、いつかばれたら…って考えるのがせつないと思って、うそはばれてほしくないと思いました。」
「私うそってついたことない人なんていないと思いました。うそってつかないといけないものだとも思いました。だってうそつかないで物を言うと、かなしむ人もいるかなと思ったからです。だから、ちょうどいいうそをついて、自分もかなしくならないうそは、だれでもあると思いました。」