自分の心がわいわいがやがやすればいい~「仲間をお店に誘うことについて」~
子どもは、「土の家かんせいパーティー」に向けて様々なお店を準備し、仲間にお店を開きました。
そこでは、仲間を自分のお店に誘ったり、仲間からお店に誘われたりする場面がたくさんありました。
そこで、実践道徳「仲間をお店に誘うことについて」をしました。
教師からどどっど村でしていることを尋ねられた子どもは、仲間をお店に誘ったことや、誘ったら仲間がお店に来てくれたこと、もっとたくさんの人に来てもらいたいと思っていることなどを話しました。
そこから、「仲間を自分のお店に誘いますか」と学級全体に問いかけました。
子どもは、問いかけに対して次のように話しました。
「私は絶対、誘う。誘わなかったら人気がなくて売れ残って無駄になっちゃう」
「人気がありすぎても物がなくならない?私も確かに誘った方がいいと思うけど、どんどん誘っていくと人気がありすぎて無理だなって。誘うけど、人数が多すぎるとあんまり誘わない方がいい」
「みんなに来てもらって食べてもらいたいから誘う。そうしたら、結構売れてなくなるかもしれないからさ。いっぱい来てなくなれば、みんな食べたいんだなってのが分かる」
それまで仲間の話を聞いていた子どもが、「誘わない」ことについて話を続けました。
「誘うと、食べろ、やれ、みたいな感じだからやだ。無理に誘うのはやだ。だってさ、誘うのはなくなってほしいだけじゃん。誘わないと人気は出ないのかなって思う」
仲間の話を聞いて、子どもは、「誘わなくても人気は出るんだけど、誘った方がみんな気になって人気が出るんじゃないかなって思う。ただなくなってほしいわけじゃないと思う」「あんまり人気出てなくて、1人、2人、3人食べておいしいってなったら友達に伝わるかもしれないからさ。それで来てくれるからさ」などと話しました。
その後、お店に誘って来てくれた仲間と来てくれなかった仲間が両方映っている動画をみて、「誘った仲間が来てくれなくてもいいですか」と学級全体に問いかけました。
子どもは、「来なくてもいい」「自分の好きでいいと思う」などと話しました。
その後に、ある男の子が、「人気がないと村っぽくない。人気がないと、にぎわわないと全然村っぽくないから。村っぽいのがしたいから」と話しました。
教師から、「にぎわうってどんな感じなの?」と尋ねられると、子どもは、「祭りとか・・・。わいわいがやがやすると村っぽくなるから、にぎわわないと全然村っぽくない」と続けました。
仲間の話を聞いて、子どもは、「商店街なら分かるけど、何でにぎわわないとだめなの?商店街は商売にならないから分かるけど、どどっど村は何でにぎわわないと村っぽくないの?」と返しました。
男の子の話がきっかけとなって、「何でにぎやかじゃないと村っぽくないの?にぎやかじゃなくても自分のしたいことして自分は満足しているんだから。相手は自分の気持ちを分からないのに勝手に決めつけちゃいけないんじゃないの?」と強い口調で話す子どももいました。
続けて、「自分のしたいことができなかったらどうするの?相手が満足していなくても自分が満足していればそれでいいんじゃない?やりたくないなら無理矢理やらされるのは違う」「自分の心がよければいいんじゃない?自分の心がわいわいがやがやしている。それでいいんじゃない?」と話しました。
一方で、「みんなの話を聞いて、ぼくはやっぱり誘いたいなって思った。やっぱりどどっど村でみんなでわいわいがやがやしたい。それが楽しいし、どどっど村だと思う」と話す子どももいました。
子どもは、これまでどどっど村で仲間とかかわって感じてきたことから、どどっど村で仲間と共に過ごすとはどのようなことなのか考えをつくっていきました。
子どもは、作文シートに次のように書きました。
「どどっど村ですごすことは、じぶんがうれしくてまんぞくすれば、いいことです。わたしは、あいてがむりやりさそってじぶんがまんぞくしないことはいけないことだと思います。(中略)わたしはにぎやかじゃなくてもじぶんがまんぞくすればいいことだと思います。にぎやかじゃなくてもじぶんがまんぞくして、じぶんの心がわいわいがやがやすればいいことだと思います。わたしはたしかに、さそって来てもらえば一ばんうれしいです。けれど、むりやりさそってあいてがいやなかおをしてむりにやらせるとじぶんの心もきずつきます。(中略)わたしはじぶんの心がうれしいなら一ばんいいと思います。わたしはじゆうな心でいつまでもそのままでいたいです。わたしはみんなじゆうなせいかくでいつまでもいたい。それが一ばんみんなにとってのどどっど村なんじゃないかなと思います。わたしは、どどっど村にもどどっど村の心があると思います。たとえば、どろプールだったら、たくさんの人にはいってもらいたいけれど、むりやりさそっていやなかおをして人がはいるのはいやなんじゃないかなと思います。わたしは、○○くんや○○くん、○○くんのはいってほしい、にんきがでてほしいという心がわたしもすごくわかります。けれど、やっぱりじぶんの心がたいせつだと思います。わたしは、このじゆうな心でいつまでもどどっど村といっしょにすごしたいです。」
「どどっど村ですごすことは、にぎわうことです。ぼくは、たのしまないと、どどっど村ではないことにきづきました。ぜんぜんにぎやかにならないと村ではないです。だから、じぶんがたのしいより、みんながたのしいと思うのが、どどっど村だと思います。そして、なかまをお店にさそうか、さそわないかは、ぜんぜんおきゃくさんがきてくれなかったら、よびかけをした方がいいと思いますが、すごく人気だったらしぜんにしたほうがいいと思います。そして、さそったなかまがきてくれなくてもいいかというもんだいは、にぎやかでないと村ではないです。ぼくは、はっきり言うと、にぎやかでないと村ではないです。」