3軒の家について
子どもは、これまでのすまいるビルドの活動で、1軒目の家の中で料理をしたり、3軒目の家を建てたりしながら、自分がしたいことに取り組んできました。
その中で、自分のしたいことが好きな家の中でできなかったり、人手が足りなくて家づくりが進まなかったりすることもありました。
そこで、実践道徳「3軒の家について」をしました。
教師から「1軒目の家って誰の家なの?」と尋ねられると、子どもは「みんなの家」と答えました。「2軒目は?」と尋ねると「みんなの家」、「3軒目は?」と尋ねると「みんなの家」と子どもは、当たり前のように答えました。その後、「1軒目も2軒目も3軒目もみんなの家と言えますか」と改めて学級全体に問いかけました。すると、今まで、3軒ともみんなの家と言っていた子どもは、「3軒ともみんなの家だよ」「あれ?3軒目はみんなの家じゃないかもしれない」などとつぶやき、今までのすまいるビルドでの活動を思い起こしながら、3軒の家についてもう一度考え始めました。
子どもは、教師の問いかけに対して、次のように話しました。
「3軒ともみんなの家って言える。みんなでつくったのにさ、誰か1人だけで住んだらみんなが嫌な気持ちになる」
「みんなでつくってはないけど、みんな生活できるようにがんばっているから、みんなの家って言える」
「1軒目の家は全員で協力してつくったけど、2軒目3軒目はつくりたい人がつくったから、1軒目はみんなの家って言えるかもしれないけど、2軒目3軒目は、つくった人の家なんじゃないかな」
「2軒目と3軒目は、つくった人がさ、一生懸命がんばったから、つくった人の家。あまり人がいなくてもがんばった」
「1軒目の家は、みんなの家と言えそう」という仲間の話を聞いて、「全部の家があやしい。だって、1軒目はキッチンの人の家みたい」「キッチンばっかりつかっていると、みんなの家って感じがしない」と話す子どもがいました。
そこで、教師は「みんなの家って、どんな家ですか」と学級全体に問いかけました。
子どもは、「1軒目みたいにみんなでつくったり、協力したりすればいい」「もっとみんなで過ごしたり、家を進化させたり、アイデアを考えたりする」「みんなで笑顔になったり、みんなでつくって楽しくなればいい」などと話しました。
仲間の話を聞いて、「家だけじゃなくて、みんなで畑とかをつくれば、すまいるビルドになるじゃん」「つくっただけが、すまいるビルドじゃないでしょ」「いっぱいつくって、それで、みんなにあげたり、つくって分けたりして、すまいるビルドをつくればいい」と話す子どももいました。
子どもは、作文シートに次のように書きました。
「すまいるビルドで家をつくることは、たのしいことです。りゆうは、みんなで、きょう力しあって、すまいるビルドをつくっているからです。どういうことかというと、みんな、なにかしらすまいるビルドにかんけいあるものとかことを、つくったりしたりしているからです。たとえば、土こうじょうとか、はたけとか、かざりとか、花だんとか、家は、1けん目は、いっぱいやってるし、家でつかうものはぼくがつくってるし、みんなは、なにかですまいるビルドをつくっているので、いえはみんなのものだとおもいます。(後略)」
「すまいるビルドで家をつくることは、みんなでは、できていないんじゃないかと思います。1けん目も2けん目も3けん目もみんなの家とは、言えないと思います。(中略)わたしは、1けん目、2けん目、3けん目をびょうどうにつかったら、みんなの家って言えるんじゃないかなと思います。みんなの家は、すまいるビルドをたのしくできる家なんじゃないかなと思います。わたしは、たのしくできたら、みんなの家だと思います」
また、作文シートに次のように書いている子どもがいました。
「(前略)1けん目も2けん目も3けん目も、みんながつかってくれたら、1けん目も2けん目も3けん目もうれしいと思います」
教師がこの作文シートの一文を学級全体に紹介すると、「うん、そうだね」と話す子どもがいました。
そこで、「みんなって家の気持ちが分かるの?」と子どもに問いかけました。
すると、子どもは、次のように話しました。
「みんながさ、使ってくれなかったりしたら、悲しい。みんなが使ってくれたらうれしくなる。もっといっぱい料理をして、みんながそこに集まればうれしい」
「みんながわいわい、みんなが笑顔で、喜んだみんなの顔が見れると家もうれしい」
子どもは、家の気持ちも考えながら、「みんなの家」とはどのようなものなのか、自分の考えをつくっていきました。