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学級の活動

実践国語科「心色筆考」

6年2組 実践教科活動 2024/05/02

実践国語科で「心色筆考」という活動を4月15日から行っています。
毛筆や鉛筆で、文字、随筆に、自身の心を表現していきます。
現在は、自身の学年の名前になっており、創造活動「古里風土記」でもかかわっている「桜」を題としています。

「桜」を毛筆で表していきました。


そして、掲示する1枚を選んでいきました。

続いて、『日本の名随筆六十五 桜』(竹西寛子編・作品社)から、2本の随筆「真昼の桜」(永井龍男)、「花びら釣り」(松下竜一)を読みました。
そして、「桜」を題とする随筆を書き、原稿用紙に鉛筆で書いていきました。

子どもは、次のような随筆を書きました。

団子
 人は何故、「花見」という時間に「団子」という菓子を食べるのであろうか。友人に聞いてみると、「美しい花を観ながら『団子』を食べた方が美味しく感じるだろう」と言う。僕はその友人に聞いた。「花を観る時に『団子』というものを食べていると花の美しさより、『団子』の味に気が向いてしまうだろう。」。すると友人は、「花を観るから、食べるものもまた、美しいものと思えるんだよ」と答えた。だが、花の一生は短く、儚い。その儚いものを観る時に「団子」というものを食べるのは、桜からしても、やはり失礼ではないか。だが、どうでもいいことを考えていると、なんだか虚しくなってくる。
 数日後、桜が満開になって四日後、その桜を観に行った。やはり満開の桜とは、本当に美しいものだ。だが、やはり満開の桜の花の命も、せいぜいあと二日三日といったところだろう。だが、満開の期間が過ぎた少し葉が出ている桜も、美しい。桜からしたら人間に根を踏まれ、挙句の果て自分達からしたら一番辛い期間を綺麗だと「団子」を食べながら言われて、無常だと感じるだろう。
 桜からしたら、「団子」はどういった存在なのだろう。自分の美しさを意図せず引き立ててくれる、ありがたい存在なのか、はたまた自分が苦しくてもがいている時期に自分達桜を不幸にさせる人間を幸せにする忌々しい存在なのか、我々人間にはわからないだろう。
 と、公園でくだらない考え事をしていたら、たまたま通りかかった友人に声をかけられた。聞かれた内容は、なにか考えてるみたいだけど、考えすぎなのではないか?ということだった。僕はこれまで考えていたことをすべて話し、その友人は呆れた顔で、「美しい桜が台無しになるだろう。そんなに深く考えない方がいいよ」と言った。そして、その友人といっしょに、満開の桜を、屋台で買った団子を食べながらずっと観ていた。

食用桜
 桜の咲く時季になると、食べ物や飲み物にも桜が入った物が売られるようになる。
 自分はこの桜の味や香りの食べ物、特に桜の塩漬けの乗った食べ物があまり好きではない。ただ桜を眺める分には見事だと思うが、桜の色とかなら良いと思うが、桜の花びらやエキスを食べる必要はないと思うのだ。決して食べられないわけではないのだが、進んで食べようとも思わない。香りが良く美味しいと聞くが、むしろその食材の風味を桜の風味がかき消しているような気がする。
 だが最近食べてみてこの食べ物は、そうやって味わうものじゃないんだと感じるようになってきた。
 桜の花びらやエキスが入っている食べ物は桜の味や食材そのものの味を味わうのではなく、桜が咲いているその季節感を味わうものだと思う。桜餅がその良い例だ。桜の葉で包み、餅の色も桜を思わせる色をしている。
 そう考えると、桜に限らずとも同じことが言える。例えば、柏餅も餅だけでよいのに食べられない柏の葉をつけるのは、その季節感や行事としての意味をもたせるためだろう。
 そういう食べ物は、味覚で味わうのではなく、五感で時期や季節を味わうものではないだろうか。

桜の光
 桜咲く春、晴れ渡る空に喜びあふれ花ひらく。皆嬉しく思い、光浴びる花を愛でる。桜見てほしく思うは、その樹
。苔生えし樹、穴開きし樹。樹それぞれに空しき傷みあり。人、気付かず花ばかり見る。
 花は綺麗だ。明るい光帯びし淡紅色に思わず見入り。人々の足を止め、目を虜にしてしまう。気づけば時間はあっという間に過ぎ去る。また花は夜見るのも良し。灯る光に紛れ、より一層、綺麗に見える。人々は桜が咲くと当たり前のようにそう思い。
 しかし、このように思うのも桜が咲いている時だけにあり。桜もいずれか散ってしまう。桜のその儚さこそが桜の本当の華なのだ。人々の目線はもう桜に向かない。またそこも空しく、そして儚いものである。春が待ちどおしきと人は想い。全く春の夜の夢でしかないものだ。
 桜の見所は春だと思われし。桜の樹、願わくは人目向かん夏。生い茂る若葉、風そよぎさらさら音を立て。小鳥鳴き、人、気付かず老うその姿。聳え立つ古の大樹、日の光浴び蒼く輝き。
 桜を観る必要があるのは春だけでなし。春夏秋冬全ての季節なのである。桜全てをみて、その大切さを守り伝え繋ぐことが一番に大切なことではなかろうか。