見つめて生き物がたり「犬太郎物語」
実践国語科の「見つめて生き物がたり」で、「犬太郎物語」(作:椋鳩十)を読みました。
<「犬太郎物語」あらすじ>
大隅の国の姫門部落に住む平助じいさんは、愛犬の犬太郎と暮らしていた。平助じいさんは、犬太郎を人間の赤ん坊を育てるように育てた。米の粉をひいて、それを水に溶かして乳代わりに吸わせたり、夜はふところに入れて抱いて寝たりした。犬太郎が、一匹の成犬として成長したときには、「行け!」と言って、平助じいさんが手で合図した獲物に対しては、たとえ死が待ち構えているにしても、まっしぐらに飛びかかっていく犬となっていた。いつしか、犬太郎は「薩摩一の狩り犬」、平助じいさんは「薩摩一のイノシシ狩りの名人」と呼ばれるようになった。ある日、仲間の狩人が、かた足のカガミジシを裏山に追い込んだと、知らせに来た。かた足のカガミジシは、巨大なイノシシで賢く、今まで平助じいさんも他の狩人も獲ることができなかったイノシシである。平助じいさんは、犬太郎を連れて山に入った。平助じいさんと仲間の狩人は、犬たちをけしかけ、やぶの中のカガミジシを追い立てようとした。しかし、犬たちは傷ついたり、おびえたりして、やぶから出て来てしまう。平助じいさんは、たまらず、「行け、犬太郎」と犬太郎を再びカガミジシにけしかけた。と、突然、キャーンという悲鳴とも、何ともつかぬ、犬太郎のさけび声がした。平助じいさんが犬太郎の名を呼びながら、やぶの中に分け入っていくと、犬太郎は、イノシシのキバに心臓を一突きに突き刺されて、冷たくなっていた。平助じいさんは、「犬太郎よ。勘弁してくんろよ」などと言いながら、犬太郎を埋める穴を、こつんこつんと掘るのであった。
子どもは、「じいさんは、犬太郎をだいて、じっと歯を食いしばっていたが、やがて立ち上がった」ときの平助じいさんの気持ちについて、カガミジシを恨む気持ち、犬太郎を殺された悔しさや怒りの気持ちを挙げました。また、その気持ちの根拠として、「ずるい、かた足のカガミジシは・・・」という文に着目しました。
そして、子どもは「カガミジシは、ずるいのか」について、語り合いました。
「ずるい」と考える子どもは、(犬太郎を殺したカガミジシが)音も立てずに、こっそりとやぶを抜けて逃げていったことなどを挙げました。「ずるくない」と考える子どもは、カガミジシも生きるためだから、不意打ちして犬太郎を攻撃してもよいことなどを挙げました。「ずるい・ずるくないのどちらとも言い切れない」と考える子どもは、カガミジシは狩人から逃げのびるに犬太郎を殺したこと、(今までに読んだ)「イノシシの女王」と同じで、狩人にねらわれるイノシシは、人間の立場からすると悪く見えるだけ、創造活動「やまもり正善寺」でかかわった狩人の話だと、カガミジシの行動も狩人の行動も生きるためにやっているたことなどと、語りました。
子どもは、「ずるい・ずるくない」をなかなか言い切ることが難しいカガミジシが、「犬太郎物語」では、「ずるい」と表現されていることについて、「語り手が『ずるい』と語りたいと思って書いている」「カガミジシを悪く書くという書き方の工夫をしている」と話し、語りについてとらえをひろげました。
語りのとらえをひろげた子どもは、物語を読み返し、「(平助じいさんは)犬太郎をうめる穴を、こつんこつんとほるのであった」からは、悲しさ、寂しさが伝わってくるなどと、語りから伝わってくることを見いだしていきました。
活動の終末で、子どもは、次のような「犬太郎物語」の後話を書きました。
「数日後、平助じいさんは、犬太郎にそっくりの犬がかかれている首輪を作り、その日から、じいさんは、狩りをする日はいつも首輪をつけて狩りをするのであった」
「穴に犬太郎をうめた時、『じいさん、じいさん、ついに、かた足のカガミジシをとらえたぞ!』と、一人の狩人がわなにかかったカガミジシを連れてきました。それを見た平助じいさんは、『犬太郎、お前のおかげだ』と、犬太郎がいる土をそっとなでるのでした。平助じいさんが立ち上がり、山から出ようとした時、かた足のカガミジシがわなをかみちぎりました。逃げる、と思ったが、カガミジシは花をくわえ、犬太郎の上にのせるのでした。それから、平助じいさんの方を一度ふり返って、そのまま歩いていきました」