「イノシシは厄介者なのか」について
正善寺を訪れる中で、子どもは、農家の小林さんが、田畑を荒らすイノシシは厄介者だと話していたこと、狩人の滝澤さんや内藤さんが、獲物になるイノシシは必ずしも厄介者だとは言えないと話していたことなどを受け、イノシシについての見方をひろげ始めました。そこで、子どもは、「イノシシは厄介者なのか」について、仲間と語り合いました。
子どもは、「人も生き物も生きているから、イノシシばかりが厄介者だとは言えないと思う」「イノシシの立場から見ると、人の方が厄介者だと思う」と話しました。また、ある子どもは、「田畑で作物を育てている人から見ると、イノシシは厄介者だと思う」と話しました。イノシシが厄介者かどうか、選びきれないという子どももいました。そうした考えの子どもは、「人もイノシシも生きている」「人の立場だとイノシシは厄介者だし、イノシシの立場だと人が厄介者になる」と話しました。
イノシシは厄介者なのかどうか議論を経た上で、子どもは、人とイノシシはどのように付き合ったらよいか考え、作文シートに次のように書きました。
「わたしは、人とイノシシは、どっちもどっちです。イノシシは、厄介者ではないです。イノシシにとっては、人は厄介者だし、人だってイノシシが厄介者だと思うし、正善寺の内田さんもイノシシは厄介者だと言っています。何もやっていない人は、イノシシは厄介者ではないと思っているのでしょうか。イノシシも人も、がんばって生きているから、それでいいと思います」
「イノシシから見ると、人は生きるのをじゃました厄介者。人から見ると、田畑を荒らしたり、獣害を起こす厄介者であり、人も生き物も、一生懸命一つしかない命を生きている。人も家族が殺されたら悲しいし、イノシシも悲しいから、廃棄する野菜をなくしたり、作物の周りに電気さくを張ったり、木の実をすぐ回収したりすると、イノシシも自然がしゅつぼつ地になり、人身事故もへると思います」
「ぼくは、人とイノシシは、昔みたいに協力して生きればいいと思います。昔は、山にいっぱい食料があったから、人の所に下りて来なかったのに、今は山から食料がへっているから、人の所に下りてくる。だから、イノシシにもやさしい環境をつくれば、人とイノシシはいい関係になれると思います」