見つめて生き物がたり「おりの中のサル」
実践国語科の「見つめて生き物がたり」で、「おりの中のサル」(作:椋鳩十)を読みました。
<「おりの中のサル」あらすじ>
「わたし」は、五年ぶりに屋久島を訪れます。島に着くと、訪れる度に親しくしている花田さんが、家に案内してくれました。家には、前に訪れたときには無かった大きな檻がありました。記憶をたどっていくと、それは元々、この島の山に住んでいた、トモエゴゼンと呼ばれるメスのボスザルでした。話を聞くうちに、「わたし」は、那須さんが子ザルを囮にしてトモエゴゼンを捕まえたこと、サルを動物園や病院の実験材料として送り込むことを商売にしている村上さんをトモエゴゼンが嫌っている様子であること、花田さんがトモエゴゼンを懐かせようとしていることなどを知っていきます。トモエゴゼンが食べ物につられて、「人間どもの、思いのままになる動物」となっていく姿を見たくないと思う「わたし」。夜に鋭い鳴き声に気付いた「わたし」が庭に出てみると、トモエゴゼンは、じっと遠くを見つめながら、鳴き続けているのでした。
子どもは、「トモエゴゼンは、わたしのほうなど、見むきもせずに、じっと、遠くを見つめながら、鳴きつづけるのでした」のときに、トモエゴゼンは何を思っているのか話し合いました。物語で語られている言葉に着目しながら、「昔、棲んでいた山が恋しいのではないか」「とらわれの身を悲しんでいるのではないか」「もう、一生出られないと思って、無になっているのではないか」「昔、自分が助けた子ザルのことを心配しているのではないか」などと、話しました。
また、子どもは、島の人々についても、話しました。「花田さんは、トモエゴゼンを思いのままにしようとしていて、トモエゴゼンをおもちゃのようにしている」「村上さんは、『くそったれザルめ』と言っているから、悪い人なのではないか」「村上さんは、悪い人とは言い切れないのではないか」などと、話しました。そして、「わたし」が島の人々のことをどう思っているかにかかわって、「花田さんは、いやな顔一つせずに島を案内してくれるから、親しい人」「サルが思いのままに姿をみたくない」などと話しました。
子どもは、「『わたし』は、この後、どうしたと思うか」について、作文シートに次のように書きました。
「わたしは、元から、トモエゴゼンが人間の思いのままになるのはいやだ、と思っていたし、トモエゴゼンの悲しい声を聞いて、かわいそうと思ったから、逃がしてあげたと思いました」
「ぼくは、「わたし」はこの後、屋久島にはあまり行かなくなったと思います。なぜかと言うと、おりの中のトモエゴゼンのかわいそうな姿を見たくなかったからです」