「じゃなくて詩」を読んで、つくったよ
子どもは、「じゃなくて詩」(白谷明美『子ども・詩の国探検』1996年、銀の鈴社 所収)に出あいました。子どもが出あった「じゃなくて詩」の一つが、次のような詩です。
「木の葉の話」
木の葉は赤っぽくなっているん
じゃなくて
本当は
おこったりわらったりしているんだと
思う
木の葉たちにしか見えない
木の葉たちにしか話せない
ことばをしゃべっている
おこるわるぐちことばや
わらわせるおもしろいことば
いろいろなことばで
はなしている
わるぐちことばならすぐ思いついて
わらわせることばはようく考えて
小さいこえでしゃべって
いろいろな話をして
ふゆをこすんだ
子どもは、この詩を読んで、作文シートに次のように書いていました。
「『木の葉の詩』を読んでみて、私は、お気に入りがありました。それは、一連です。その理由は、『木の葉は赤っぽくなっているんじゃなくて 本当はおこったりわらったりしているんだと思う』という『赤』のことばと、『おこったり』や『わらったり』がつながっているんだと思うからです。その理由は、『おこったり』は顔が赤くなっていて、「わらったり」は明るいという意味が、私のお気に入りです。でも、その言葉以外でも、できると思います。たとえば・・・ほたるみたいに赤く光っているという感じにも言えるからです。でも、どうして、『わらっている』や『おこっている』と作者は書いたんだろう」
詩の中で「(木の葉が)おこったりわらったりしている」と書いてあることに、何人もの子どもが疑問をもちました。そのことについて話し合うと、子どもは、「木の葉からいろんなことを想像したんだと思う」「赤っぽくなっていることは、おこっているとかわらっていると、たとえているんだと思う」と話しました。たとえることによって、この詩がつくられていることを見いだした子どもは、教室から出て、どんな「たとえる」ができそうか、学校の中や外を歩き回りながら探しました。そして、一人一冊持っている「詩人手帳」に書いていきました。子どもは、次のような「たとえる」を見つけました。
【草】 ゆれている→うたっている
【木】 雨にぬれている→シャワーをしている
【どんぐり】 こげている→おけしょうをしている
【バナナ】 曲がっている→体操をしている など
そして、日を改めて「詩人のまど」の活動の時間に、「詩人手帳」に書き溜めたことばを使いながら、子どもは次のような「じゃなくて詩」をつくりました。
「れんしゅう中」
草はただ生えているんじゃなくて
本当は
せのびをしているんだと思う
草しか出られない
草しかできない
せのびきょうそうのれんしゅうをしている
となりの草ときょうそうだ
今日はぼくが大きいよ
明日こそぜったい勝つぞ
と言っても明日は運動会
そうだ
早くねるぞ
昼間はしっかりきたえておいて
夜は背がのびるようにしている
そんな感じでれんしゅう中
「おり紙」
おり紙は おられるばかりじゃなくて
本当は
いろいろなすがたになりたいんだと思う
かっこいいカブト
しぶいつる
よくとぶ紙ひこうき
いろいろなすがたになりたいんだと思う
小さいおり紙 大きいおり紙 ノーマルおり紙
いろいろなおり紙が
いろいろなすがたになりたいと思ってる
「どぐうたちは」
どぐうは、ただしゃべらないんじゃなくて
本当は
なかまとしゃべっているんだと思う
どぐうたちにしか聞こえない
どぐうたちにしかしゃべれない
話をしている
なんで人にならなかったのか
土だけじゃなくて鉄でも作られてみたかったなど
どぐうたちで話している
仲間といろいろ話して
縄文人には聞こえない声でしゃべって
どぐうも自分の人生をおくるんだ