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学級の活動

想像と違ったオランダ坂を越えて向橋へ

4年2組 創造活動 2024/07/20

子どもは、オランダ坂に行った仲間の話を聞き、オランダ坂から向橋へ行ってみたいと話しました。そこで、仲間と共にオランダ坂を目指すことにしました。また、向橋でしたいことを話していく中で、川班、探検班、料理班ができました。この日、金谷は雨模様でしたが、手早く雨具を身に着け、班ごとに隊列を組み、隊長を先頭にして歩き始めました。

ベルリン坂を登っていくと、向橋を指す道標が立っていました。ここからがオランダ坂の始まります。道標には「10分」と書いてありましたが、倒木があったり、草が生い茂っていたりしてなかなか進めません。雨の影響で滑りやすく、下りで尻もちをつき、ズボンに泥が付きました。子どもは、「道なき道だ」「滑るよー!」「離れないで!」「大丈夫~?」と声を掛け合いながら、向橋を目指しました。

向橋に着くと、近藤さんが待っていました。近藤さんは、オランダ坂の思い出を話してくださいました。近藤さんのお父さんは国体のクロスカントリースキー種目に出場し、1位で滑っていたのが最後のオランダ坂の上り坂で抜かれ、4位になったということでした。子どもは、今自分が下ってきたオランダ坂をスキーで駆け上ることに驚いていました。

儀明川のすぐ側に住まわれている川住さんが車庫を荷物置き場に貸してくださいました。川班は、牛木さんと共に儀明川に入り、笹ぶね、水鉄砲、生き物採取などを楽しみました。牛木さんから大きな網を借り、モクズガニを捕まえました。牛木さんに見せると、「それは逃がさなければいけない」と教えてもらい、儀明川に逃がしました。

探検班は、集落を探検しました。いろいろなお宅の裏山や林に入らせていただきました。集落の方に取材をする子どももいました。金谷新聞づくりのために、アドベン帳やタブレットにメモしました。

料理班は、向橋町内会館をお借りし、カレー作りに取り組みました。家から型抜きを持ち寄り、工夫を凝らしたカレーをつくりました。川住さんのお宅で採れたすももの差し入れが届き、おいしくいただきました。

子どもは、作文シートに次のように書いていました。

「今日向橋と言う所に行きました。行く時は、ドキドキして一回目の金谷山みたいなのかなと思いました。でもどんどんすすむときょうふとふあんがこみあげてきました。坂になると足がふるえるようになりました。たいちょうの○○ちゃんが『ここすべるよー』とか『前に木あるよー』と教えてくれて行きやすかったです。とちゅう私のうしろの○○ちゃんからうしろがはぐれそうになりました。前の人は、○○ちゃん、○○ちゃん、ボランティアの人しか見えなくなりました。またふあんがきて、少しこわかったです。また、坂があってどろでつるっつるだったのですべるしかありませんでした。前の○○ちゃんが少し転んで、私もそうなるのかとこわくなりました。ふあん、こわさがきて、すべりました。でも今思うと楽しかったです。どろのジェットコースターに乗ったきぶんでドキドキはらはらで、その時は、少し楽しさがありました。」

「今日、八回目のアドベンチュがありました。前回とは違い、今回は皆でオランダ坂に行きました。少しなつかしい道もあり、楽しかったです。道なき道を歩きながらウルシをよけました。私は行ったことがなかったので、どんなところなのかワクワクしていたら、ぜんぜん想像と違いました。木がたおれていたり、ウルシが私たちのせの高さと同じだったりしました。さいごは、○○ちゃんにたすけてもらいました。ありがとう!!その後、ひらけた道をあるいていくと、川住さんの家に到着しました!さっそく荷物をおかせてもらいました。私はチームのみんなをさがし、たんけんに出発しました。計画をたてていなかったため、先生に家を教えてもらいました。中島さんという家のうら山に行ってみると、そこはまるでアスレチックでした。ブランコなどがあり、かんばんには、『まごまごランド』と書いてありました。その数分後、その中島さんがうら山にきました。話を聞いてみると、『おじいちゃんが全部一からつくったの』と言っていました。まごのためにつくったまごまごランドなんだともおしえてくれました。いったんうら山をあとにし、庭のほうへ行きました。そこにはキレイなグラジオラスがさいていました。写真をとってうしろをふりかえったらうしろにはだれもいなく、○○さんと○○さんと私だけでした。なのですぐにおいかけようとしたらイノシシたいさくのロープにひっかかってしまい、ころんでしまいました。すると中島さんは水道水で手をあらわせてくれたり、手をタオルでふかせてくれました。私は、『ありがとうございます』とお礼を言って、ふたたび走り出しました。」