5月15日 かんずり
創造活動「古里風土記」では、上越地域の風土を見つめています。
子どもは、高田城址公園の桜、高田の雁木町家とかかわった上で、活動でかかわっていきたい、上越地域の風土の中で生まれたり、その風土を生かしてつくられたりしているもの、ことを提案し合いました。
その中で提案され、それに取り組んでいくよさを見いだし、実現に動き出したものの一つがかんずりです。
提案を基に、有限会社「かんずり」の皆様と共に、唐辛子の苗植えから収穫、雪さらしを行うことになりました。
5月15日に、かんずりの材料となる唐辛子の苗の定植を行いました。
妙高市大貝の唐辛子畑を訪れ、植え方を教わりました。
畝にホーラーで穴を開け、苗を植えていきました。
どんどん植えていき、500本ほどの苗を植えました。
周辺には、唐辛子畑がひろがっており、この1週間で約5000本の苗を手で植えていくことを聞きました。
その後、「かんずり」様の本社を訪れ、東條社長さんからかんずりの歴史や製造過程、そこに込めている思いをお聞きしました。
学校に戻ると、かんずりを給食に添えて食べていました。
子どもは、作文シートに、
「かんずりの苗を植え、かんずりについてお話を聞きました。
かんずりの苗植えで、機械の先をビニールにさしてあなをあけます。そして、苗を植えます。この1週間で5000本植えるのが目標で、私たちが1時間ちょっとで植えたのは約500本でした。会社の方、何人かで5000本は、とてもすごいと思いました。
また、かんずりのお話を聞きました。私は今まで『かんずり』というものがどんなものか、まったく分かりませんでした。今日の東條さんのお話でかんずりは昔、食べると体があたたかくなる保存食だったということがわかりました。今では、いろいろなおつまみやソースにもなっていて、つくり手の思いが入っていることが分かりました。
雪さらしでは、雪の上にとうがらしをおいて、苦みをとっていることが分かりました。
給食でかんずりを食べてみました。苦みはぜんぜんありませんでした。3年仕込みのかんずりはちょっとすっぱさがありました。6年仕込みのかんずりはすっぱさがなくて、ちょっと甘かったです。9月の収穫が楽しみです」
「かんずりは小さいときから身近にあったから、全国的に広く知れ渡っているようなおつまみや調味料をつくっている大企業のような会社がつくっていると思っていたけれど、妙高の特産品であると知ったのもついこの前で、ほとんどなにも知らなかったことが分かったので、こういった機会があって、うれしいです。かんずりはどうやら上杉謙信公がとうがらしの種を持ち帰ってきた後、豪雪で苦しむ人々に『体が温まる』としてそれを育ててすり潰し、漬けたのが始まりのようです。まさか、新潟のとうがらしに謙信公が関わっていたとは思いませんでした。かんずりは各家庭の味があったらしく、韓国のコチジャンに似ていると思いました。その家庭の味も今はほとんど無くなってきました。寒さたいさくで親しまれてきたかんずりも、スーパーで買えるとうがらし、一味、七味などができたことで必要では無くなり、かんずりをつくる人も減っていったようです。そんな中、『かんずり』の先代社長の方が、かんずりを一気に有名にしたそうです。ぼくは、こういったかんずりを守る方々がつむいできたかんずりが無くならないでほしいと思いました」
と書きました。